歴史ウォーキング・三浦一族の歴史を楽しもう!
三浦一族と平家方の畠山重忠が戦った「小坪合戦」の舞台と、戦国時代の三浦氏の城「住吉城」を歩きます。
総距離:約13km ※小坪バス停、小坪海岸バス停からJR逗子駅を目指すショートコース(歩行距離約6km)も可能です。
歴史ウォーキング・三浦一族の歴史を楽しもう!
★リーフレット(観光協会窓口で配布中!)です
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歴史&山城ナビゲーター 山城ガールむつみ
三浦一族研究会副会長、一般社団法人城組副代表。歴史やお城をテーマにしたイベントや講座を多数手がける。埋もれている歴史の掘り起こしにも取り組み、地域活性の歴史コンサルとしても活動。御城印発行などプロデュースしている。
- 所要時間
- 約5時間
- 主な交通手段
- 徒歩
スタート 鎌倉駅西口
駅舎を背に直進し、市役所前信号を左折して今小路通りへ。
- 住所
- 神奈川県鎌倉市小町1-1-1
- 電話番号
- 0467-22-2101
今小路通り
右手に「御成小学校正門」。その先最初の信号を左折し、渡った左の角に「問注所跡の碑」があります。直進すると「御成通り」との十字路があります。そこを右折します。
- 住所
- 神奈川県鎌倉市御成町
御成通り
すぐに「由比ガ浜通り」に突き当たります。そこを左折し、江ノ電の踏切を渡ると「下馬四ツ角」に出ます。信号を右折して海岸方面へ。琵琶橋を過ぎると、「浜の大鳥居跡」があります。
浜の大鳥居跡
頼朝の建立以来、戦国時代までの大鳥居の跡です。
- 住所
- 神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-2
伝畠山重保の供養塔
畠山重忠の子、重保の供養塔とも伝わる宝筐院塔。重保は1205年に三浦義村によって由比ヶ浜で討たれました。
- 住所
- 鎌倉市由比ヶ浜2-1089
実相寺
赤い社を左折して直進すると右側に「実相寺」があります。
ここは鎌倉時代の武将工藤佑経(くどうすけつね)の屋敷跡といわれています。
- 住所
- 神奈川県鎌倉市材木座4-3-13
五所神社
実相寺から歩いてすぐ材木座の氏神「五所神社」があります。
- 住所
- 神奈川県鎌倉市材木座2-9-1
- 電話番号
- 0467-25-0949
来迎寺(らいこうじ)
源頼朝が三浦義明の菩提を弔うために創建したとも伝わります。小坪合戦で討死した多々良重春の供養塔があります。
・小坪合戦の痕跡スポット
建久5年(1194年)に頼朝が三浦義明の菩提寺とし建立したと伝わり、境内には三浦義明と小坪合戦で戦死した多々良重春の墓と伝わる五輪塔があります。逗子と鎌倉の境の要衝ゆえ、小坪周辺では中世を通じてたびたび戦いが行なわれたと推察され、それらの戦死者の弔いのためのものと思われる石塔が数多く残っています。
- 住所
- 神奈川県鎌倉市西御門1-11-1
- 電話番号
- 0467-23-3476
光明寺(こうみょうじ)
鎌倉幕府4代執権北条経時開基と伝わります。浄土宗関東総本山。本堂は国指定重要文化財です。
- 住所
- 神奈川県鎌倉市材木座6-17-19
- 電話番号
- 0467-22-0603
和賀江嶋の碑
1232年に築かれた鎌倉幕府の港湾施設です。現存する最古の築港遺構で、干潮時には当時の堤防に使用した石が見えます。貿易港として、にぎわっていました。
坂を上ると「小坪隧道」。
ちょっと寄り道 「内藤家墓所」
トンネルの手前を左に上ると左側に「内藤家墓所」があります。
光明寺境内裏手には日向延岡藩などの藩主になった内藤家の200基あまりの石塔が立っています(2m以上の高さのものも!)。
- 住所
- 神奈川県鎌倉市材木座6-21-2
正覚寺
住吉山 悟眞院 正覚寺
住吉城の場内にあたる正覚寺の裏山には、住吉神社が鎮座しています。海が一望でき、三浦一族の水軍拠点であったことがよくわかります。
住吉城址
三浦一族の城。戦国時代には北条早雲に攻められ合戦の舞台となりました。大部分は私有地となっています。
三浦半島への入り口に位置し、平安時代末期には小坪合戦も行われた陸上交通の要衝地でした。海に面し築かれた住吉城は海城として機能していたと思われ、まさに水陸両方の要にあたるお城と思われます。
北条早雲から攻撃され、戦国時代には戦いの舞台になった歴史ロマンあふれる城。遺構は残らずとも、地形から十分に当時に思いを馳せることができます。
あわせて、城下には和賀江嶋が存在し、鎌倉時代からの港湾機能も見学できます。
※住吉神社内は入れますが、住吉城址の主な部分は民有地内にありますので、無断でのお立ち入りはご遠慮ください。
海前寺
供養山 三寶院 海前寺
住吉城の戦い痕跡スポット①
海前寺も住吉城の城域内と思われ、境内には住吉城の戦いの戦死者の弔いと思われる石塔が多数残っています。墓地改修工事の際、頭蓋骨や刀などが出土したといいます。
小坪寺(しょうへいじ)
浄土宗 轉法輪山 小坪寺
中世からの寺院「香蔵寺」「報身院」が前身と伝わっています。
小坪海岸バス停
トイレあります。
- 住所
- 神奈川県逗子市小坪5-21
小坂天王社
社の建つ場所は、鎌倉幕府の御家人小坂太郎光頼の屋敷跡と伝わります。
「殿の井」とよばれる大井戸が近くにあります。
- 住所
- 神奈川県逗子市小坪4-8-9
披露山公園
披露山の山頂にあるため、周辺の眺望は最高!展望台に上れば、逗子の街並みや相模湾を一望できます
鎌倉幕府への貢物を「披露」することから名がついたとも伝わります。戦時中は高角砲台が置かれていました。
披露山公園駐車場から浪子不動に下りるハイキングコースが整備されています。小さな滝などもあり、自然の景観を楽しむことができます。
トイレあります。
浪子不動
秋の七草 第七番 尾花の寺 浪子不動
徳冨蘆花の小説「不如帰」の主人公「浪子」の名で親しまれていて、不動明王が鎮座します。もとは波切不動とよばれ、航海の祈願所でした。
目の前の海上には「不如帰」の石碑が建っています。
逗子海岸ロードオアシス駐車場
逗子海岸を一望しながら、地元の食材を使ったランチを堪能できます
トイレあります。
富士見橋
田越川に架かる赤い橋です。近くには徳冨蘆花、国木田独歩ゆかりの「柳屋」がありました(現在は石碑のみです)。
六代御前の墓
小さな墳墓に刻まれた壮大な歴史
六代御前(平高清)は平清盛の曾孫に当たり、平家最期の嫡流です。六代御前は田越川沿いで処刑されたとされ、田越川に面して墓が残っています。
駐車場にトイレあります。
三浦胤義遺孤の碑
三浦義村の弟胤義は、1221年の承久の乱で朝廷方につき、戦死しました。その遺児たちが田越川沿いで処刑されたとも伝わります。
義村と胤義(たねよし)~承久の乱、兄弟の選択~
承久3年(1221年)5月、後鳥羽上皇によって執権北条義時追討の院宣が下されると、幕府の筆頭御家人である三浦義村の弟胤義は朝廷方の大将のひとりに任ぜられました。和田合戦まで協力し合っていた義村、胤義兄弟はここに袂を分かったのです。
胤義が朝廷方についた理由のひとつとして、胤義の正室が2代将軍頼家の側室だったことが挙げられます。胤義は彼女が連れてきた頼家との遺児の後見となりましたが、その子は義時によって殺されました。これらのことから、胤義は幕府に対してかなりの恨みと不信感を持っていたと思われます。胤義は最期に義村と話すことを希望しましたが、義村は取り合わなかったといいます。そして、胤義は木島神社(京都・太秦)で自害しました。
- 住所
- 神奈川県逗子市逗子5-14-4
延命寺
一見すると都会の寺院ですが、知るほどに深い、1200年の古刹です。
真言宗寺院。奈良時代創建の古刹です。境内には、住吉城から脱出して延命寺で自害した三浦道香と家臣の供養塔が残っています。
ゴール:JR逗子駅 京急逗子・葉山駅
JR逗子駅東口
京急逗子・葉山駅
- 住所
- 逗子市逗子1-1-10