六代御前の墓
小さな墳墓に刻まれた壮大な歴史
六代御前(ろくだいごぜん)とは、平高清(たいらのたかきよ)(1173年-1199年)のことです。父は平維盛(たいらのこれもり)。平清盛の曾孫(ひまご)にあたります。六代という名は高清の童名であり、平氏繁栄の基盤をつくったとされる平正盛(まさもり)から数えて六代目です。
平家の後継者として成長するはずでしたが、治承四年(1180年)、以仁王(もちひとおう)の挙兵に始まる怒涛の戦乱は平家の滅亡と鎌倉政権の樹立によって幕を閉じ、平家滅亡後の文治元年(1185年)、菖蒲谷に潜んでいたところを北条時政によって捕縛され、殺害されるところでしたが、頼朝の強い協力者で平家打倒に暗躍していた僧侶文覚(もんがく)が頼朝に六代は自分の弟子であるとして助命を嘆願、赦(ゆる)されて文覚に預けられて出家し妙覚(みょうかく)と名乗りました。
その後、時の将軍頼家に斬首に処せられ、斬首地はこの墓の田越川の対岸にあった池の周囲という説もあれば、もっと上流域のあたりだという説、あるいは六浦のあたりであるとする説などとともに諸説あります。遺体がどこに葬られたかは定かではありません。また、この墓は江戸時代、六代の家臣斎藤氏の末裔を名乗る水戸藩士斎田三左衛門尉平典盛によって建てられた供養塚です。
六代御前供養祭 7月26日
基本情報
- 住所
- 〒249-0005 神奈川県逗子市桜山8-2-1-7
- お問い合わせ先
- 逗子市観光協会
- 電話番号
- 046-873-1111
- アクセス
- JR「逗子駅」下車、徒歩15分。もしくは京急「逗子・葉山駅」下車、徒歩12分
- リンク
- 長柄桜山古墳群周辺と六代御前の墓 | Call of History ー歴史の呼び声ー鎌倉タイム六代御前の墓伝説地 逗子フォト