国木田独歩文学碑
逗子で結婚生活を送った国木田独歩の文学碑
逗子市桜山9の浄化管理センター内の公園に国木田独歩文学碑が建てられています。国木田独歩は若くして(満36歳)没した小説家で、自然主義文学の先駆者とされています。学生時代に徳富蘇峰と知りあい大いに影響を受け、明治27年(1894年)、民友社に入り徳富蘇峰の「国民新聞」の記者となり、この年起きた日清戦争に海軍従軍記者として参加。「愛弟通信」をルポルタージュとして発表し、「国民新聞記者・国木田哲夫」として一躍有名となりました。明治28年(1895年)11月、蘇峰の媒酌で佐々城信子と結婚し逗子で暮らし始めましたが、あまりの貧困生活に耐えられず帰郷し両親と同居しました。翌年信子が失踪し協議離婚しています。信子との間には長女がいます。その後、明治31年(1898年)、下宿の大家の娘・榎本治(はる)と再結し、四子をもうけました。この最初の結婚生活を送った地が逗子であり、独歩ゆかりの地となっています。また、独歩も貸し家の「柳屋」近くで眺めた富士が忘れ難かったようで、小説「武蔵野」で「われわれが逗子の「あぶずり」で眺むるよう」な富士に言及しています。
基本情報
- 住所
- 〒249-0005 神奈川県逗子市桜山9 - 2448- 4
- お問い合わせ先
- 逗子市観光協会
- 電話番号
- 046-873-1111
- アクセス
- JR横浜横須賀道路逗子ICから約10分
京浜急行逗子・葉山駅より徒歩19分
逗子駅より徒歩22分 - リンク
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